仁風閣
天球丸跡、二ノ丸跡を巡った後、扇御殿跡に建てられた「仁風閣」に入館します。
仁風閣について
明治40年に旧藩主池田仲博伯爵が、当時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)の山陰行幸に際し、御座所として江戸時代の扇御殿跡に建造しました。
現在の迎賓館赤坂離宮などを設計した片山東熊博士が設計しました。
昭和48年に国指定重要文化財に指定されました。
鳥取城二の丸から見た仁風閣。
仁風閣についての説明書き。
仁風閣正面
仁風閣に入ります。
石が引き詰められた広い通路を仁風閣へ進みます。
パンフレットによると、フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺二階建てとのことです。
陣風閣と鳥取城跡についての説明書き。
仁風閣内部(1階)
仁風閣に入館しました。こちらにも説明書きがありました。
御道具置場。
随員控所。
県官出張所だった部屋。
麒麟獅子頭が飾られていました。
「因幡・但馬の麒麟獅子舞」が令和元年に日本遺産に認定されたことを受けての展示です。
麒麟獅子舞について
因幡の国(鳥取県の東部)と但馬の国の北西部(兵庫県の北西部)に伝わる伝統芸能で、中国の想像上の霊獣の麒麟に扮して舞います。
「因幡・但馬の麒麟獅子舞」は令和2年に国の重要無形文化財にも指定されました。
螺旋階段
1階奥には、らせん状の階段があります。この階段には支柱がなく、分厚いケヤキの板で支えられているとのことです。高さは4mあります。
上半分。
下半分。使用は不可とのことです。
真ん中あたり(別アングルから)。確かに支柱は無いようです。
支柱がない旨の説明書きがありました。
この階段は使用不可なので、別の階段で2階へ上がります。
仁風閣内部(2階)
御座所。
嘉仁皇太子(後の大正天皇)が居室として使用されました。
謁見所の様子。
ベランダの様子(御座所側)。
御食堂側からのベランダの様子。光がよく差し込んでサンルームになってます。
先ほど1階の奥で見た螺旋階段を2階から眺めてみました。
螺旋階段は使用不可なので上がってきた階段で再び1階に下ります。
こちらの階段で1階へ下ります。
ちなみに、階段上に見える額の「仁風閣」の文字は、その命名者である海軍大将東郷平八郎の直筆です。
たいそう立派な階段です。中央に絨毯が敷かれています。
仁風閣の背面
仁風閣の建物を出て背面に回ります。
角尖型の塔が突出しています。この内部が螺旋階段になっています。
1階、2階とも吹き出しのベランダが設けられています。日当たり良好です。
建物背面手前には洋館と調和する芝生が広がっています。
仁風閣を背に庭園に向かいます。
宝隆院庭園
仁風閣の建物背面の芝生から続いている池泉回遊式の日本庭園で、仁風閣の後庭になっています。
文久3年(1863年)、第12代鳥取藩主池田慶徳が若くして未亡人となった先代慶栄の夫人宝隆院を慰めるために造営したものです。
宝隆院庭園と仁風閣(背面)。
仁風閣の2階ベランダから見た芝生と宝隆院庭園。
仁風閣の建物手前から広がる芝生の奥に、池泉回遊式の日本庭園が見えます。
陣風閣から宝隆院庭園にかけての様子。左手の建物は茶座敷の宝扇庵です。
池のむこうには宝扇庵があります。